ユーロビジョン・ソング・コンテスト2011こと第56回ユーロビジョン・ソング・コンテスト(英語: Eurovision Song Contest 2011、フランス語: Concours Eurovision de la chanson 2011)は、前年のユーロビジョン・ソング・コンテスト2010でドイツ代表のレナ・マイヤー=ラントルートが「Satellite」を歌って優勝したにより、ドイツが主催権を獲得し、同国で開催候補地となった4都市の中からデュッセルドルフが選ばれ、2011年5月に同地のエスプリ・アレーナで開催されることとなった。
2つの準決勝はそれぞれ5月10日と12日に、決勝は14日に行われる。申込み締切りまでに43箇国が参加申請を受け付けられており、2007年大会以来となるオーストリア; 2009年大会以来となるハンガリー、2008年大会以来となるサンマリノ、そして1997年大会を最後に参加していなかったイタリアも大会に復帰する。
優勝したのはアゼルバイジャンで221得点を得ている。優勝曲はエルダル・ガスモフとニガル・ジャマルの「Running Scared」であった。以下、イタリアの189得点、スウェーデンの185得点がこれに続く。準決勝を免除される「Big 5」のうち上位10位に入賞したのはイタリアの他に10位のドイツで、イギリスがこれに続く11位、フランスは15位、スペインは23位と低迷した。
会場
2010年10月12日、北ドイツ放送(Norddeutscher Rundfunk、NDR)によって、デュッセルドルフのエスプリ・アレーナが会場となることが発表された。ドイツがユーロビジョン・ソング・コンテストを主催するのはドイツ再統一以降初めてのことであり、それ以前に西ドイツが大会を主催したのは1957年大会と1983年大会の2回であった。また、欧州放送連合への資金の拠出額が大きい国々が準決勝を免除される「Big 4」のちの「Big 5」の制度が始まった2000年大会当初より、ドイツはその一員となっている。2011年大会では、同国の他にイギリス、フランス、スペイン、イタリアが「Big 5」として、準決勝は免除で決勝に参加できる。
主催地の選定
当初、北ドイツ放送は23の都市での開催可能性を検討し、うち8都市が開催への意欲を表明した。これらの8都市、ベルリン、ハンブルク、ハノーファー、ゲルゼンキルヒェン、デュッセルドルフ、ケルン、フランクフルト・アム・マイン、ミュンヘン の中から、ベルリン、ハンブルク、ハノーファー、デュッセルドルフの4都市が、北ドイツ放送によって8月21日に公式に開催候補地として発表された。会場の候補は、それぞれ以下の通りであった:
- ベルリン: ベルリン・テンペルホーフ国際空港跡地・ハンガー近くの巨大テント
- デュッセルドルフ: エスプリ・アレーナ
- ハンブルク: ハンブルク展示場
- ハノーファー: ハノーファー展示場
デュッセルドルフ・エスプリ・アレーナ
新聞デア・ヴェステン(Der Westen)は、エスプリ・アレーナの大規模な改修工事によって、6週間の間は会場を他用途に使用できるとした。会場はユーロビジョン・ソング・コンテストの観客2万4千人を収用できる。デュッセルドルフのホテルには合わせて2万3千、周辺地域やドナウ川に浮かぶ船には2千人が宿泊できる。デュッセルドルフ空港からも近く、会場近くの体育館は1500人の報道関係者を収用する会見場として使用できる。会場からは公告看板が除去され、フォルトゥナ・デュッセルドルフのサッカー観戦のための通年チケット保持者には払い戻しがされる。大会中、フォルトゥナ・デュッセルドルフは代替会場としてパウル・ヤネス・シュタディオンを使用し、同競技場を2. ブンデスリーガレベルとするための改修費用はデュッセルドルフ市が負担する。
大会概要の発表とチケット発売
2010年10月13日、ドイツ公共放送連盟(ARD)のトーマス・シュライバー(Thomas Schreiber)は、デュッセルドルフで行われる大会の概要を明らかにした。それによると、エスプリ・アレーナは2つの空間に分けられ、ひとつはステージと観客席、もう一つは更衣室などの舞台裏となる。会場となりの体育館は会見場として使用する。エスプリ・アレーナではステージの近くまで客席が設けられ、サッカー競技場というよりは屋内イベントの様相となる。本番同等のリハーサルも公開が予定されている。決勝と2つの準決勝、それに4回のリハーサルのチケットが発売される。
決勝のチケットは2010年12月12日、12時12分(CETから発売が始まった。チケットはwww.dticket.deの専売となっている。3万2千ある決勝のチケットは6時間足らずで完売となった。準決勝のチケットは、2つある準決勝のうちどの国がどちらに参加するかが決まった後の1月中旬から発売となった。
主催地に関する報道
デュッセルドルフ
2010年9月24日、サッカークラブ、フォルトゥナ・デュッセルドルフはドイツサッカー連盟に対し、エスプリ・アレーナが2011年のユーロビジョン・ソング・コンテストで使用される場合、ホーム競技場をパウル・ヤネス・シュタディオン(Paul-Janes-Stadion)に移す旨を申請したと発表した。このことから、この時点で既にデュッセルドルフ市はエスプリ・アレーナを会場候補として協議を進めていたことがうかがえる。2010年10月6日、フォルトゥナ・デュッセルドルフは、必要に応じてパウル・ヤネス・シュタディオンを使用する旨が認められたと発表した。WAZメディエングルッペ(WAZ-Mediengruppe)傘下の新聞・ノイエ・ルーア・ツァイトゥング(Neue Ruhr Zeitung)は2010年12月12日、ユーロビジョンのためにフォルトゥナ・デュッセルドルフがパウル・ヤネス・シュタディオンに移ると報じた。また、エスプリ・アレーナに隣接するフォルトゥナの練習場は、イベント会場設計を専門とするスイスの会社・ニュッスリ(Nüssli)が、ユーロビジョンのために2万人分の座席を増設するための作業を行うための臨時の事業所となった。この移動にかかる費用は、およそ150万ユーロと見積もられている。
ハンブルク
2010年10月2日、新聞・ハンブルガー・アーベントブラット(Hamburger Abendblatt)は、ハンブルクでの2011年のユーロビジョン開催は不可能と報じ、資金不足をその理由として挙げた。
ベルリン
ベルリンでの開催計画は、かつてのベルリン・テンペルホーフ国際空港のハンガー跡地周辺に巨大テントを建てるという物であり、これに関して懸念が上がっていた。北ドイツ放送の責任者らは、この計画では良好な会場環境を作ることができないと考えていると報じられた。
公共放送連盟
欧州放送連合(EBU)の一員であるドイツ公共放送連盟(ARD)は、ドイツの地域ごとの公共放送の連合体である。ドイツ公共放送連盟には10の報道機関が加盟している。会場候補となった4つの都市は、それぞれ3つの報道機関の地域に分かれていた。ベルリンはベルリン・ブランデンブルク放送(Rundfunk Berlin-Brandenburg、RBB)、ハンブルクとハノーファーは北ドイツ放送(Norddeutscher Rundfunk、NDR)、デュッセルドルフは西ドイツ放送(Westdeutscher Rundfunk、WDR)の放送地域であった。北ドイツ放送は例年、ユーロビジョン・ソング・コンテストの決勝戦のドイツ国内での放送の責務を担ってきたが、3つの報道機関の資金力は2011年の会場決定に際して決定的な要素となった。ターゲスシュピーゲルは10月7日、大会の主催が、他の番組の予算を厳しく削減する決定へと至ったと報じた。また、ベルリン・ブランデンブルク放送の脆弱な財務状況が、ベルリン開催への最大のハードルであるとした。
形式
従来のルールでは、「Big 4」の4か国と主催国は準決勝を免除され、自動的に決勝に進むこととされていた。2011年大会では、ドイツは「Big 4」の一員であり主催国でもあるため、決勝に参加する国の数がひとつ減る可能性が生じた。ベオグラードで開かれた会合では、従来のルールをそのまま踏襲し、結果として決勝に参加する国は25か国(準決勝からの20か国、「Big 4」、主催国)から24か国となるとされた。2010年12月31日、参加申請を受け付けられた国々の一覧が公表され、1997年以来の参加となるイタリアを、従来の「Big 4」に加えて「Big 5」とすることが明らかにされた。これにより、2011年大会で準決勝参加を免除されるのはドイツ、フランス、スペイン、イタリア、イギリスの5か国であり、決勝は25か国で行われることとなった。
2010年8月30日、それまでユーロビジョン・ソング・コンテストのスーパーバイザーを務めたSvante Stockseliusが2010年12月31日をもって退任すると報じられた。2010年11月26日、前任に代わってJon Ola Sandがスーパーバイザーとなることが発表された。
司会
北ドイツ放送は、2010年12月16日、大会の司会がアンケ・エンゲルケ(Anke Engelke)、ユディット・ラケアス(Judith Rakers)、シュテファン・ラープ(Stefan Raab)であることを発表した。司会が3人となるのは1999年大会、2010年大会について3回目である。
組分け
2011年1月17日、参加国が2つある準決勝のどちらに参加するかが決められた。参加国は2010年までの視聴者投票の傾向に基づいて6つの組に分けられた。各組から半分が準決勝1、半分が準決勝2へと振り分けられる。また、これによって各国のリハーサルの日程も決まる。また、準決勝に参加しない「Big 5」の国々(フランス、ドイツ、スペイン、イタリア、イギリス)の視聴者がどちらの準決勝で投票権を持つかも決められる。
イスラエルの放送局IBAは、準決勝1の日程が戦没将兵記念日であるとして、準決勝2への参加を求めた。ドイツの北ドイツ放送も、番組編成上の理由により準決勝2での投票を求めた。
参加国
2010年12月31日、欧州放送連合は43か国が大会に参加することを発表した。
ユーロビジョン・ソング・コンテスト2011では、2007年大会以来となるオーストリア; 2009年大会以来となるハンガリー、2008年大会以来となるサンマリノ、そして1997年大会を最後に参加していなかったイタリアが大会に復帰する。資金難により2010年大会に参加しなかったモンテネグロも一度は参加を申請したものの、最終的な締切りである12月25日の2日前、23日に一転して不参加を決定した。
スロバキアは当初、資金難により2011年大会への不参加を表明していた。しかし、スロバキアテレビのウェブサイトでは、同国のユーロビジョン参加の是非を問う投票が行われ、投票総数の87.5%が参加を支持していた。スロバキアテレビは後に、2012年大会への復帰を目指す計画を表明した。しかし、スロバキアの参加申請は取り下げられないままの状態が続き、スロバキアは2011年大会の参加国として欧州放送連合の一覧に掲載された。スロバキアテレビは2011年1月に資金難と組織再編のために大会に参加できないと表明した。しかしスロバキアはその後も参加国として扱われ、1月17日には準決勝2への割り当ても行われた。スロバキアテレビはその後、申請締め切り後の参加撤回による罰金を支払うよりは参加予定を維持すると発表した。
2010年8月28日にベオグラードで行われた欧州放送連合の会合では、参加国は2011年3月14日までに参加するアーティストと楽曲を決め、3月15日に大会での登場順を決めることとされた。参加国の準決勝への振り分けはデュッセルドルフにて1月17日に行われるものとされた。
準決勝
準決勝1
準決勝1は2011年5月10日に、デュッセルドルフ、エスプリ・アレーナにて開催される。準決勝1の参加国から、視聴者投票および審査員投票の組み合わせにより10か国が選出され、決勝に進むことができる。スペインとイギリスは準決勝1を国内中継し、投票に加わる。太字は決勝進出国。
準決勝2
準決勝2は2011年5月12日、デュッセルドルフのエスプリ・アレーナにて開催される。準決勝2の参加国から、視聴者投票および審査員投票の組み合わせにより10か国が選出され、決勝に進むことができる。フランス、ドイツとイタリアは準決勝2を国内中継し、投票に加わる。太字は決勝進出国。
決勝
決勝は2011年5月14日に開催される。「Big 5」の国々は準決勝を免除され、自動的に決勝から参加できる。各準決勝から選出された20か国とこの「Big 5」、合わせて25か国が決勝に参加する。投票方式は2010年大会と同様、視聴者投票と審査員投票の組み合わせにより行われる。視聴者はアーティストのパフォーマンス中から投票でき、投票は全アーティストのパフォーマンスが終わった後15分で締め切られる。
得点表
準決勝1
準決勝2
決勝
12点
以下の表は決勝戦において、最高得点である12点がそれぞれどの国からどの国に与えられたかを示す:
放送
- オーストラリア - オーストラリアは大会に参加できないものの、例年どおりスペシャル・ブロードキャスティング・サービスによる放送が行われる。2009年および2010年と同様、自国向けのコメンテータが用意される。
- ドイツ - 主催放送局である北ドイツ放送は、ドイツ公共放送連盟向けの放送を担当する。プロジーベンが準決勝1、ドイツ公共放送連盟は準決勝2および決勝を放送する。
- ルーマニア - 2009年以降の通例どおり、ルーマニアテレビにより、本番前のショーや終了後の会見も含めて放送される
- イギリス - 準決勝はBBC3、決勝は初めて高精細度テレビジョン放送によってBBC HDにて放送される。
再出場のアーティスト
脚注
注釈
出典
外部リンク
- ユーロビジョン・ソング・コンテスト公式サイト




