ボリー (USS Borie, DD-215) は、アメリカ海軍の駆逐艦。クレムソン級駆逐艦の一隻。艦名は第25代海軍長官のアドルフ・ボリーに因む。

艦歴

ボリーは1919年4月30日にペンシルベニア州フィラデルフィアのウィリアム・クランプ・アンド・サンズで起工する。1919年10月4日にパティ・ボリー(ボリー長官の大曾姪)によって命名、進水し、1920年3月24日に艦長E・F・クレメント少佐の指揮下就役した。

1920年4月、ボリーはトルコ海域に派遣される分艦隊に合流し、黒海での任務に就く。翌年にはアジア艦隊の第38駆逐艦部隊に加わり、続く4年間を冬期間はアメリカの植民地のフィリピン海域で、夏期は中華民国の煙台、上海で活動した。その後帰国し、1927年の春までカリブ海での偵察任務に就き、続いてヨーロッパへの巡航を行った。ボリーは1929年まで大西洋艦隊に所属し、その後3年間をアジア艦隊での任務で過ごした。

1932年から33年にかけて戦隊旗艦としての改修が行われ、その後第2駆逐艦戦隊に加わる。1939年後半まで通常の駆逐艦としての任務を太平洋で行い、その後パナマ運河を通過して中立パトロールに参加する。第二次世界大戦が勃発すると、ボリーはパナマ湾の第15海軍管区で沿岸警備を担当し、その後カリブ海での警備、護衛任務に就く。

1943年6月26日、ボリーはカリブ海を出航し、7月30日に護衛空母カード (USS Card, CVE-11) を中心とした対潜攻撃部隊に加わり出撃する。同部隊でボリーは3度の哨戒を完了した。

哨戒中の1943年11月1日、49°00' N., 31°14' W. の海域でドイツ潜水艦 U-405 に遭遇する。ボリーは爆雷を投下し、U-405は海面に浮上した。ボリーはU-405に激突され、銃撃戦が行われた。U-405、ボリーの両艦は分離し、U-405は49名の乗組員と共に沈没した。ボリーの乗組員27名が戦死し、牽引できないくらい大きく損傷した。ボリーは翌日バリー (USS Barry, DD-248) によって海没処分された。また、ボリーは第二次世界大戦の戦功で3個の従軍星章を受章し、カードとの作戦活動で殊勲部隊章を受章した。

関連項目

  • 第二次世界大戦中のアメリカ海軍の喪失艦一覧

外部リンク

  • USS Borie home page at Destroyer History Foundation
  • uboat.net U-405
  • navsource.org
  • history.navy.mil - ウェイバックマシン(2006年7月24日アーカイブ分)
  • この記事はアメリカ合衆国政府の著作物であるDictionary of American Naval Fighting Shipsに由来する文章を含んでいます。

Do 215B

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