BOØWYの作品は、日本のロックバンドであるBOØWYの作品一覧。
BOØWYは6枚のオリジナル・アルバム、1枚のライブ・アルバム、3本の映像作品、5本のミュージック・ビデオをリリースした。BOØWY解散後、10作のライブ・アルバム、5作のベスト・アルバム、9作のボックス・セット、6作の映像作品、3作のミュージック・ビデオがリリースされた。
BOØWYはビクター音楽産業からリリースされたアルバム『MORAL』(1982年)でデビュー。デビュー盤は売り上げや音楽的評価において全く実績を残せず、また音楽的志向に劇的な変化が生じていたため、後に徳間ジャパンに移籍し2枚目のアルバム『INSTANT LOVE』(1983年)をリリース。しかし結果として全く実績が残せなかったためメンバーは個人事務所「ØCON-NECTION」を設立、おもにライブ活動のみを行う事となった。
その後ライブハウスでの動員数の増加に伴い音楽事務所である「ユイ音楽工房」からスカウトされ同事務所と契約、レコード会社を東芝EMIへと2度目の移籍を経てリリースした3枚目のアルバム『BOØWY』(1985年)がオリコンチャートにおいて48位となり初の50位以内へとランクイン。翌年リリースされた3枚目のシングル「わがままジュリエット」(1986年)が最高位36位とシングルとしては初の50位以内へとランクインし、4枚目のアルバム『JUST A HERO』(1986年)が最高位5位となり初のトップ10入りを果たした。その後も4枚目のシングル「B・BLUE」(1986年)が最高位7位とシングルとしては初のトップ10入りを果たし、続いてリリースされた5枚目のアルバム『BEAT EMOTION』(1986年)が初登場1位を獲得。5枚目のシングル「ONLY YOU」(1987年)は初登場4位となり、6枚目のシングル「Marionette」(1987年)および6枚目のアルバム『PSYCHOPATH』(1987年)はともに初登場1位を獲得した。その後に7枚目のシングル「季節が君だけを変える」(1987年)をリリースし初登場4位となり、同年12月24日にBOØWYは渋谷公会堂公演にて解散を発表。
解散発表後にはファーストアルバムの再リリース盤となる『MORAL 3』(1988年)および東京ドームでの最終公演を収録したライブ・アルバム『“LAST GIGS”』(1988年)、また同年にリリースされた初のベスト・アルバム『“SINGLES”』(1988年)はすべて最高位1位を獲得した。その後も解散10周年で企画されたベスト・アルバム『THIS BOØWY』(1998年)が最高位1位を獲得した他、結成20周年記念としてリリースされたライブ・ビデオ『"LAST GIGS"』(2001年)がビデオ部門にて最高位1位を獲得、続いてリリースされた解散宣言の模様を記録したライブ・ビデオ『1224』(2001年)が最高位2位を獲得、ファンからのリクエスト投票によって選曲された結成30周年記念のベスト・アルバム『BOØWY THE BEST "STORY"』(2013年)において初登場1位を獲得、解散後20年以上が経過したグループによる1位獲得はビートルズ以来史上2組目となり、邦楽グループでは初の獲得となった。
BOØWYの作品において5作品がミリオンセラーとなっており、『BEAT EMOTION』が120万枚、『PSYCHOPATH』が150万枚、『“LAST GIGS”』が153万枚、『“SINGLES”』が172万枚、『THIS BOØWY』が217万枚となっている。
シングル
アルバム
スタジオ・アルバム
ライブ・アルバム
ベスト・アルバム
トリビュート・アルバム
カバー・アルバム
映像作品
サウンドトラック
ボックス・セット
ミュージック・ビデオ
未発表作品
BOØWYは日本国内のバンドでありながら、数多くの海賊盤が出回っている事でも知られている。初期の頃にライブでのみ演奏された曲や、レコーディングされたものの没となった楽曲がかなり多く、ほとんどが公式にリリースされる事なく現状に至っている。中には後にタイトルやアレンジが変更され、公式にリリースされた楽曲も存在する。以下にそれらの楽曲の一部を紹介する。
- 「ATOMIC CADILLAC」
- 後述の「BOOGIE」と同じく1983年頃に演奏される事が多かった楽曲。
- 「IN MY HEAD」
- 「MIDNIGHT RUNNERS」と並んで初期のライブでの定番曲。歌詞が不明瞭でほぼ仮歌状態で歌われる事が多かったが、1983年6月18日新宿LOFTでのLIVEでたった一度のみ日本語の歌詞で歌われた。作曲は布袋。エルビス・コステロの「NO ACTION」という曲にインスパイアされ作られた。
- 「SAD SUNSET (I don't wanna fade away)」
- BOØWYの楽曲では数少ないスローテンポのバラードソング。アルバム『INSTANT LOVE』収録の楽曲「THIS MOMENT」を思わせる演歌のようなニュアンスを含んでいる。
- 「DAKARA (PARTII)」
- 82年頃に制作され未発表であったが後にアルバム『MORAL 3』に初収録された「DAKARA」とサビ以外のメロディーを一新した楽曲。「DAKARA PART II」とは公式なタイトルではなく、ファンの間で呼ばれている通称。ステージでは単に「DAKARA」とコールされていた。発表されている「DAKARA」に比べると全体的にメロディアスで、しっとりとしたラブソングとなっている。
- 「TEDDY BOY MEMORIES」
- イントロ部分のみを引用してシングル「ホンキー・トンキー・クレイジー」のB面曲、「“16”」として収録された。残りの部分は歌謡曲的なマイナー系の曲だが、そのサビの一部は後のシングル曲「わがままジュリエット」という形で昇華された。
- 「DO THE AFROCKABILLY」
- 一時期ツアータイトルともなっていた「アフロビート+ロックンロール+ヒルビリー」をモチーフとした楽曲。インストゥルメンタルの楽曲だったが1984年頃は布袋による初のボーカル曲となる。BOØWYの楽曲の中でもリズムパートが激しく、特に高橋はあの独特のリズムをベンチャーズの「WIPE OUT」という楽曲からインスパイアされ叩いていたと語るが、当時話題となっていたBOW WOW WOWのジャングルビートからの影響であろう。
- 「Do You Wanna Dance?」
- 4人編成になりイメージ変更を特に担った曲。「オシャレな曲」と曲紹介される。作曲は布袋。4枚目のアルバム作成時に編曲されデモが作られたがBOØWYとしては発表されなかった。松岡英明の「Dance with abandon 」として後に日の目を見る。
- 「ノーフェイム」
- 主に最初期にライブでのみ演奏されていた楽曲(81年に4 - 5回、82年初旬に数回)。内容は、自己主張をしない、流されて生きていく世代への皮肉。当初3パターンのアレンジがあり、譜面も作成されたとのことである。また、曲作りの段階では「DON'T -」というタイトルであったという。正規リリースされず、最初期にのみ演奏された楽曲であるため、曲名については、解散以前から「NO PAIN」、「NO FAITH」、「NO FACE」、最近では「NO FAME」など諸説あり、今なお論争の続く問題の一つであるが、元メンバー (ドラム担当) とファンとの交流会の席上、「綴りは忘れたけど、読みは合ってる」とのコメントがあり(一次資料なし)、これにもとづき、本稿ではカタカナで「ノーフェイム」と記載することとした。
- 「BOOGIE」
- 1983年頃のライブで頻繁に演奏されていた楽曲。サイコビリーとニューウェイブを合体させたような曲。この曲のあとには前述の「ATOMIC CADILLAC」が立て続けに演奏される事が多かった。
- 「PUSSY LADY」
- 全体的に歌詞、アレンジを変更してアルバム『BOØWY』に「ハイウェイに乗る前に」として収録された。
- 「MARIONETTE」(シングル曲とはまったくの別曲)
- 後に同名の楽曲がシングルとしてリリースされているが、初期のライブでは全く異なる同名のこの楽曲が演奏されていた。作詞は氷室狂介、作曲は後に脱退したギターの諸星アツシ。テーマはマスメディアへのアンチテーゼ。
- 「MIDNIGHT DATE」
- 1984年頃にライブで演奏されていた楽曲。「MIDNIGHT C BOP」というタイトルでクレジットされていた記録がある。ライブ中に氷室の口から「次のアルバムに入れる予定の曲」とMCされた事があるが、実現しなかった。メロディーの一部が「幸せの黄色いリボン」に酷似している事も指摘されている。氷室の好きなシャッフル系。後に「ホンキー・トンキー・クレイジー」に昇華されたと言える。「気分が白い夜には」というフレーズは後の「季節が君だけを変える」の曲中で使用される。
- 「MIDNIGHT RUNNERS」
- 初期の代表曲の一つであり、ライブでは終盤に必ずと言っていいほど演奏されていた。Aメロとサビのみのシンプルな構成である。Aメロは空間系のエフェクトを強く効かせたコードストロークまたは4分刻みのカッティング。サビは布袋のブラッシングとリズム隊が一体になった後の「DO THE AFROCKABILY」から「BAD FEELING」に繋がる演奏をバックに、氷室が「MIDNIGHT RUNNERS!」と連呼するのみ。また、その世界観は「DREAMIN'」に受け継がれた事がデモ版からうかがえる。1985年の東芝EMI移籍後は殆ど演奏されなかったが、2007年発売の『“GIGS”BOX』において映像化された。
- 「YOU GATTA YOU」
- 82年春頃、中目黒の氷室のアパートで布袋と2人で作ったDEMO3曲の中の1曲。モチーフは『FUNK』。(他の2曲は『PUNK』→「BABY ACTION」、『SLOW BALLADE』→「I DON'T WANNA FADE AWAY」)1982年8月8日LOFTで一度だけ演奏された。「YOU GATTA YOU」という曲名はファンの間での通称で正式なタイトルではない。
- 「ONE TWO THE BEAT」
- 氷室狂介による楽曲。モチーフは「MARCH」。主に6人編成の時期に演奏されデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズの影響を色濃く示す作品。4枚目のアルバム作成時にイントロ、サビを編曲してデモが作られたが結局アルバムに入ることは無かった。
カバー作品
- 他ミュージシャンによるカバー作品一覧。
脚注
参考文献
- 『BOØWY写真集 RENDEZ-VOUS』CBSソニー出版、1989年7月31日、167 - 192頁。ISBN 9784789704663。
- 『BOØWY B to Y THERE'S NO BEGINNING AND THE ENDS.』宝島社、2004年9月20日、66 - 90頁。ISBN 9784796642408。
外部リンク
- BOØWY - UNIVERSAL MUSIC JAPAN - ユニバーサルミュージックジャパンによる公式サイト。




