松平 新右衛門(まつだいら しんえもん)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武士。
徳川家康の嫡男・松平信康の家臣であったが、同輩の大賀弥四郎に加担し謀反を計画。その計画が露呈した翌日に大樹寺の正門前にて切腹した。
出自
『岡崎市史 第参巻』では松平九郎左衛門 能見城ヨリ、新右衛門トモ云
という記載がある。
出生地は不明だが、欠の郷/欠村(現在の愛知県岡崎市欠町、元欠町、根石町、栄町、朝日町4丁目、若宮町3丁目、及び西欠町)に古屋敷があったとされる。
人物
大賀弥四郎、江戸右衛門七とともに松平信康が岡崎城主に就いた時の岡崎町奉行を務めた。
脚注
注釈
出典




