堀田 康人(ほった やすんど / やすひと、1855年5月2日(安政2年3月16日)- 1921年(大正10年)1月21日)は、明治から大正期の弁護士、政治家。衆議院議員、京都府会議長、京都市会議長、京都弁護士会長。幼名・作太郎。
経歴
尾張国名古屋園井町(現名古屋市中区錦)で、尾張藩士・堀田平右衛門の長男として生まれる。漢学を修め、1869年(明治2年)家督を相続した。1876年(明治9年)京都に移り、山本覚馬などから法律学、政治学を学び、同年、免許代言人となった。京都代言人組合会長、京都弁護士会長を務めた。
1887年(明治20年)三大事件建白運動を推進し、同年11月、建白書を元老院に提出。1888年(明治21年)1月、京都府会議員に選出され5期在任し、1918年(大正7年)6月に辞任した。この間、同参事会員を務め、1915年(大正4年)10月、第11代府会議長となり1918年6月まで在任した。1892年(明治25年)3月、京都市会議員に選出され5期在任し、2度市会議長(1905年1月-1908年1月、1910年4月-10月)を務めた。
1890年(明治23年)自由党に入党し、1894年(明治27年)9月の第4回衆議院議員総選挙(京都府第1区、自由党)で当選。衆議院議員に1期在任した。
その後、立憲同志会、憲政会に所属し、護憲運動に加わった。また日本赤十字社京都支部の常議員、商議員に在任した。
国政選挙歴
- 第3回衆議院議員総選挙(京都府第1区、1894年3月、自由党)次点落選
- 第4回衆議院議員総選挙(京都府第1区、1894年9月、自由党)当選
- 第6回衆議院議員総選挙(京都府第2区、1898年8月、無所属)次点落選
著作
- 阿部保治郎閲『民事訴訟法実例』精理館、1891年。
脚注
参考文献
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 京都府議会事務局編『京都府議会歴代議員録』京都府議会、1961年。
- 『京都大事典』淡交社、1984年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。




