銀林 綱男(ぎんばやし つなお、1844年5月6日(弘化元年3月19日)- 1905年(明治38年)9月20日)は、幕末の尊攘運動家、明治期の内務官僚・実業家。官選埼玉県知事。孫に数学者の銀林浩、曾孫に政治家の片山さつきがいる。同郷の前島密と親交があった。

経歴

越後国頸城郡青海村(後の新潟県西頸城郡青海町→糸魚川市)の青海神社の宮司銀林玄類の息子として生まれる。江戸で医学、詩文を学んだ。戊辰戦争では新政府側の居之隊に属して転戦した。

慶応4年(1868年)8月、新政府に出仕し民政方御用掛に就任。以後、新潟県少属、同一等警部を歴任。1876年、東京府に転じ、同大属、同戸籍掛長、同学務課長、同建築調査委員、同官報通信主任、同会計主務官代理などを務めた。1891年、世界界博覧会出品事務委員に就任。

1892年12月、埼玉県知事に就任。道路の改良整備に尽力。1894年1月20日、知事を非職となり、同月31日、依願免本官。その後、北越鉄道社長、横浜火災運送保険株式会社 東京支店監督などを務めた。1902年6月、東京市会議員に当選した。市会議員在職中に死去した。

栄典

位階
  • 1884年(明治17年)2月9日 - 従六位
  • 1894年(明治27年)2月28日 - 従四位
勲章等
  • 1888年(明治21年)5月29日 - 勲六等単光旭日章
  • 1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章

出典

注釈

脚注


参考文献

  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。



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