登坂 又蔵(のぼりさか またぞう、1875年(明治8年)1月2日 - 1944年(昭和19年)3月4日)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。山形県米沢市長。
経歴
現在の山形県米沢市に生まれる。1897年(明治30年)京都市染織学校訓導を拝命し、1899年(明治32年)退職したのち、1905年(明治38年)東京高等工業学校染織科選科を卒業する。米沢義社取締役、奥羽電気常務取締役を経て、1915年(大正4年)9月、山形県会議員に当選し以来6期務めた。その間、米沢市会議員、同副議長、同議長を歴任。ついで1929年(昭和4年)3月、米沢市長に就任したのち、1933年(昭和8年)11月、山形県会議員に再選した。1944年(昭和19年)現職のまま死去した。
米沢市の上杉伯爵邸に胸像がある。
脚注
参考文献
- 帝国自治協会『全国市長銘鑑 : 自治制実施五十周年記念』帝国自治協会、1938年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1458365。
- 山形県『山形県議会歴代議員名鑑』、1973年。




